「正解はないので、まずはやってみよう」
変化の大きい職場で、このように部下へ働きかける上司は少なくありません。しかし、言われた側がすぐに動き出せるとは限りません。方針がまた変わるかもしれない。どこまで自分で判断してよいのか分からない。失敗したときに、どう評価されるかも見えない。そうした状況では、「まず動く」こと自体が大きなリスクに感じられます。 このような、先が読めないだけでなく、人が不安を抱え、原因と結果のつながりを捉えにくくなる状況を理解する手がかりが「BANI(バニ)」です。本記事では、BANIとVUCAの違いを整理したうえで、正解が見えない状況でも前へ進むために求められる5つの力と、それを日々の仕事で伸ばすマネジメントについて考えます。
この記事のまとめ
- BANIは、もろさ・不安・非線形性・不可解さによって、現代の混沌とした状況を捉えるフレームワーク。
- 正解が見えない状況では、前提を更新する、小さく試す、周囲を頼る、自分なりの問いを立てる、仕事に面白さと手応えをつくる、という5つの力が重要。
- こうした力は本人の資質だけで決まらない。上司が思考の過程を言語化し、問いと経験を渡すことで、日々の仕事を通じて伸ばせる。
BANIとは? 混沌とした時代を捉える4つの視点
BANIは、未来学者のジャメ・カシオ氏が提唱したフレームワークです。Brittle、Anxious、Nonlinear、Incomprehensibleという4つの英単語の頭文字から成り、単なる不確実性や複雑性だけでは捉えにくい、混沌とした状況を表します。
| 要素 | 意味 | 職場で起こり得ること |
|---|---|---|
| Brittle もろい | 安定しているように見える仕組みが、ある出来事を境に急に機能しなくなる | これまでの成功パターンや役割分担が、環境変化によって通用しなくなる |
| Anxious 不安 | 選択を誤ることへの恐れから、決めることや動くことが難しくなる | 選択肢を検討するほど、『もっとよい答えがあるのではないか』と判断を終えられない |
| Nonlinear 非線形 | 原因と結果が比例せず、小さな出来事が大きな影響を生む | かけた時間や努力が、期待した成果、評価、キャリアに結びつくとは限らない |
| Incomprehensible 不可解 | 情報があっても、なぜその結果になったのかを理解しきれない | AIやデータが示した答え、会社の判断について、結果は分かっても背景を理解できない |
重要なのは、BANIを単に「変化が激しい時代」の言い換えにしないことです。BANIには、変化のなかで人が抱く不安や、努力と結果が結びつかない感覚、情報があっても理解しきれない感覚まで含まれています。
VUCAとの違いは、環境だけでなく『そこで働く人』を見ること
変化の激しい時代を表す言葉としては、VUCA(ブーカ)が広く知られています。VUCAは、Volatility(変動性)、Uncertainty(不確実性)、Complexity(複雑性)、Ambiguity(曖昧性)の頭文字を取ったものです。 VUCAが主に外部環境の変化を捉えるのに対し、BANIでは、先行きの不透明さがもたらす人々の不安や混乱にも目を向けます。VUCAがBANIに完全に置き換わったというわけではなく、市場や事業を取り巻く変化はVUCAで捉え、その変化が人や組織に与える影響はBANIで読み解く。二つの視点を使い分けることで、いま起きていることをより立体的に捉えることができるでしょう。
BANI時代に求められる5つの力
BANI時代に必要な人材というと、「変化を恐れず、どのような状況でも即座に正解を出せる人材」を想像するかもしれません。しかし、すべてを一人で解決できる万能な人を求めれば、個人への要求ばかりが増えてしまいます。必要なのは、不安や分からなさがあっても、自分と周囲の力を使いながら前へ進むことです。ここでは、そのために重要だと考えられる力を5つに整理します。
1.新しい情報を受けて、前提を更新する力
一つ目は、最初に立てた仮説や過去の成功体験に固執せず、新しい情報や周囲の反応を受けて、自分の考えを修正する力です。
変化に対応するというと、会社の新しい方針をすぐ前向きに受け入れることだと考えられがちです。しかし、本当に必要なのは、何でも無条件に受け入れることではありません。これまでの前提のどこが変わったのかを捉え、残すものと変えるものを判断することです。 成功体験がある人ほど、『以前もうまくいったから、今回も何とかできる』という感覚を持ちやすい一方、その成功体験が新しい状況では思い込みになることもあります。経験を自信にしながら、必要に応じて手放せることが重要です。
2.不完全な状態でも、いったん決めて小さく試す力
二つ目は、すべての情報がそろうまで待つのではなく、現時点での結論をいったん置き、修正できる範囲で行動に移す力です。
生成AIを使えば、短時間で多くの情報や選択肢を得られます。しかし、考える材料が増えることと、決めやすくなることは同じではありません。さらに良い案を求めて壁打ちを続けるうちに、理想だけが高くなり、自分で提出する、顧客に聞くといった現実の行動が重くなることもあります。 ここで必要なのは、考えずに『とにかく動く』ことではありません。小さく試し、相手の反応や結果から新しい情報を得て、次の判断に生かすことです。正解を出してから動くのではなく、動くことで正解に近づいていきます。
3.分からなさを共有し、周囲を頼る力
三つ目は、一人で正解を出そうとせず、自分に分からないことや不安を言葉にし、周囲の知識や経験を借りる力です。
『分かりません』『自信がありません』と言うことは、能力不足の表明のように感じられるかもしれません。しかし、状況を理解しきれないBANIの環境では、分かったふりをして判断を遅らせたり、誤った前提のまま進めたりする方が、大きな問題につながります。 何でも一人で乗り越えられる人が、変化に強いとは限りません。自分の限界を理解し、早い段階で相談し、異なる視点を持つ人と補い合えることも、変化のなかで前進するための重要な力です。
4.違和感から、自分なりの問いを立てる力
四つ目は、誰かから与えられた問題に答えるだけでなく、目の前の違和感や関心から、自分なりの問いを立てる力です。
正解が見えない状況では、そもそも何を問題として扱うべきかが明確でないこともあります。「このやり方は本当に顧客のためになっているか」「なぜ、ここで繰り返しつまずくのか」「もっとよい進め方はないか」。まだ問題として名前が付いていない段階で、自分なりの『こうしたい』を持つことが、変化の起点になります。 求められるのは、自分だけが正しいと主張することではありません。違和感を放置せず、周囲と考えられる問いへ変えていくことです。
5.目の前の仕事に、面白さと手応えをつくる力
五つ目は、与えられた仕事のなかに、自分なりの工夫や関心、小さな前進を見つける力です。
原因と結果が単純につながらない環境では、現在の努力が、いつ、どのような成果やキャリアにつながるかを確約することはできません。将来の見返りだけを頑張る理由にすると、その見通しが失われたとき、仕事の意味まで見失いやすくなります。 仕事を無理に楽しいと思い込む必要はありません。昨日よりできるようになったこと、顧客や周囲に与えた小さな変化、自分なりに工夫できる余地を見つける。目の前の仕事に面白さと手応えをつくることが、先の見えないなかでも歩みを止めない力になります。
5つの力を、マネジメントでどう伸ばすか
これらの力は、生まれ持った性格特性だけで決まるものではありません。日々の仕事でどのような経験をし、上司や周囲からどのような反応を受けたかによって、発揮のされ方は変わります。
部下に『柔軟に対応してほしい』『もっと主体的に動いてほしい』と求めるだけでは、動き方は変わりません。上司には、部下が試行錯誤しやすい条件を整えることが求められます。
1.条件を変える問いで、現在の前提を揺さぶる
部下が現在のルールや過去の成功パターンにとらわれているときは、答えを否定するのではなく、その考えが成立している条件を変えて問いかけます。
例えば、『目標が倍になっても、この方法で達成できるか』『人員が半分になっても成立するか』『AIに代替される可能性はないか』『競合と同じ視点に立っているだけではないか』と考えてもらいます。異なる条件を置くことで、何を残し、何を変えるべきかが見えやすくなります。
2.結論を仮置きし、確かめる行動を決める
『事実が分からない』『結果が読めない』という理由で思考が止まったときは、情報が集まるのを待つのではなく、まず実現したい状態や現時点での結論を仮置きします。そのうえで、何を確かめれば次へ進めるのかを決めます。
- 完成版ではなく、まず方向性だけをチームに見せる
- 企画全体をつくる前に、一部分だけ試作する
- 広く展開する前に、少人数へ仮説を聞いてみる
- 『60点で出す』ではなく、今回確認したいことを明確にする
単にスピードを求めるのではなく、何を確かめるための行動なのか、どの結果が出たら方向を変えるのかまで合意することで、最初の一歩を踏み出しやすくなります。
3.つまずきの種類を見極め、次の一歩を整理する
部下から『分かりません』『できません』と言われたときは、すぐに答えを教える前に、どこでつまずいているのかを見極めます。自信を失っているのか、考え始めるきっかけがないのか、必要な情報を持っていないのか、詳しい人を頼った方が早いのか。原因によって、必要な支援は変わります。 そのうえで、「解決方法」を与えるのではなく、次にすべき行動を整理します。一人で抱えて完結することだけを評価せず、必要な人を見つけ、力を借り、仕事全体を前へ進めることも重要な仕事だと伝えます。
4.ミッションの『ナナメ』にあたる仕事の雑談を増やす
自分なりの問いは、『問題意識を持って』と指示するだけでは生まれません。日頃から、本人の担当業務そのものではないものの、ミッションと少しつながるテーマについて意見を交わします。
『こんなことを言っていた顧客がいるけれど、どう思う?』『最近、このテーマが気になっているけれど、どう見る?』。すぐに成果や正解を求められない仕事の雑談だからこそ、本人も自分なりの見方を出しやすくなります。上司が異なる意見をすぐに正さず、『そういう見方もあるのか』と受け止めることが、問いを持つ土台になります。

5.仕事に含まれる意味と、小さな成長を見えるようにする
部下が『この仕事に意味がない』『成長していない』と感じているとき、上司が一方的に仕事の価値を説くだけでは、本人の手応えにはなりません。仕事を具体的に振り返り、意味や成長がどこにあったのかを一緒に探します。
- 以前より使えるようになったスキルや、新しく経験したこと
- 自分が関わった仕事の全体像と、そのなかで担った役割
- 顧客や組織、周囲に与えた影響
- 本人の判断に任せられるようになった範囲
- 顧客や社内から届いた声、数値、周囲の変化
こうした事実を見えるようにすることで、本人は、目の前の仕事にも工夫できる余地や小さな前進があることに気づきやすくなります。仕事を無理に楽しいと思わせるのではなく、自分なりの面白さと手応えをつくる材料を渡す関わりです。
答えではなく、上司の思考プロセスを渡す
5つの力を伸ばすうえで、が避けたいのは、トップダウンで答えだけを渡し、部下から考える機会を奪うことです。一方で、部下の成長を優先するあまり、顧客や仕事を長く待たせるわけにもいきません。
急ぐ場面では上司が自ら対応することもあります。ただし、完成した答えだけを見せるのではなく、部下にも同じテーマを考えてもらい、後から思考の違いを振り返ります。上司がどこに違和感を持ち、どの条件を重視し、何を捨て、なぜその結論を置いたのか。その思考プロセスを徹底的に言語化することで、次に似た状況が起きたとき、部下が自分で考えるための材料になります。 任せることは、最後まで手を出さずに待つことではありません。顧客への価値提供と部下の成長を両立させながら、問いと判断の過程を渡していくことが重要です。
社員の一歩を支えるのは、未来の正解ではなく『試行錯誤できる環境』
BANI時代に求められるのは、不安を感じず、常に正しい判断を下せる万能な人材ではありません。前提を更新し、小さく試し、周囲を頼り、自分なりの問いと仕事の手応えをつくりながら前へ進める人です。
こうした力は、一度の研修や面談で身につくものではありません。上司が日々、条件を変えて問いかけ、試せる大きさをつくり、思考の過程や小さな成長を言葉にする。粘り強い関わりのなかで、少しずつ育っていきます。 そして、部下に求める5つの力は、上司自身にも必要です。上司もまた、自分のマネジメントを試し、部下の反応を受けて考えを更新し続けなければなりません。『正解はないから、自分で考えて』と委ねるだけではなく、正解が見えないなかでも一緒に試行錯誤できる環境をつくる。それが、BANI時代に社員の一歩を支えるマネジメントではないでしょうか。



